LOG3
ブログをよく書いてた時を思い返すと
その文章を綴る思いの向かう先は、見てくれる人だった。
日々の出来事を書いて、思いを共有して、そこでコミュニケーションが生まれて
自分の価値観を認めてくれる歓びがあった。
もっと人としていろいろな事を学び経験すると、それがなんだか気恥ずかしくなって
自分を主張することのくすぐったさがあった。
だからずっと書こうと思っても、思いのままとどまっていたんだと思う。
今自分が綴る思いの向かう先は、間違いなくこれからの自分自身のためだ。
それが明確に浮かんだからこうやって書くことにした。
ええかっこをする必要もない、いちいち体裁を整えて起承転結を考える手間も要らない。
見てくれなくて良いし、見てくれてもいい。
これから来る様々な決断の時に、自分がその瞬間にしか無い環境・思いの中で書き留めた
価値観が意思決定のキッカケになってくれたらそれほど有難いことはないと思うのだ。
ただTwitterだけは連動させる。
全く誰も見る可能性の無いブログをやっていても
更新する意欲がそがれると自覚している。
それなら繋げることでもしかしたら誰かが見て、共感してくれたりその人が前を向くキッカケになる事があるかもれない。そんな事が起きれば願ったり叶ったりだ。
そんな身勝手な思いのエゴだけでも、せめて主張しようと思ったのだ。
俺はそういう人間だ(別にビッグダディは意識していない。)
とにかく思慮深い事は自覚している。
時に思いの深さに貢献してくれることもあれば
行動の妨げになることも多くある。
自分がこれからいろんなライフイベントをむかえる上で
この選択をしていたことに感謝出来るようになっていて欲しい。
書くことは頭の整理にもなるしね。
2015年 4月3日
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